ヒロシマのこと 4
さてさて、emihana です。
はなです。
怒涛の更新、半分やけっぱち?
いえ、皆さまに広島の素晴らしさをお伝えしたくて
ウズウズしているのです。
3日目、乗り馴れた感の出始めた路面電車で広島駅へ
JRに乗車して30分強。
ここまた念願の地
そうです、呉は海軍さんの街。
駅から真っ直ぐ大和ミュージアムへGO!
あの戦艦大和は呉のドッグで建造されたんですね。
館内には、当然、巨大な模型が。
他にも、ゼロ戦や
人間魚雷、回天も展示されています。
実物大の回天は思った以上に細く狭く
ほとんど身動きの取れない鉄の乗り物の中で
たったひとり、どんな想いを抱いて
昏い海原を進んで行ったのか、その若者の
心のうちを想像すると、私の胸も苦しくなるのでした。
ご存知の通り、日本海軍が建造した史上最大の戦艦
大和は1945年4月7日、天一号作戦において
味方の劣勢を挽回すべく、沖縄方面へ出撃しましたが
米軍の機動部隊の猛攻撃を受け、僅か2時間余りで
撃沈されたのだそうです。
このミュージアムでは、大和建造の歴史や
その性能について、さらにいかにして最期を迎えたか、
あるいは数少ない生存者の方たちの証言まで
とても詳しくわかりやすく展示されていて
機械オンチの私でも興味深く拝見できました。
特に関心を引いたのは、当たり前のことながら
あの時代、こんなに壮大な戦艦を造るにも
全ての行程はアナログだった!と言う点で
たとえば、細かい設計図も一切手書きのみ!
ちょっと照明が写り込んで見にくいのですが
ご覧下さい。あくまで人間の頭脳と手で書いてます。
AIも3Dもペッパーくんも介在しない世界で
世界に誇る大戦艦を生み出した人たち。
今の人間より、遥かに豊かな想像力を
持っていたのではないか、そんなことを思いました。
バルコニーに出てみれば
天気晴朗波低し
大和が短時間で沈没してしまった理由として
攻撃力重視の設計上の弱点があるとのことで
世界最大の砲身を備えるため、艦の傾きに脆弱な
造りにならざるをえなかったのだとか。
たくさんの人たちの叡智や献身や希望と乗組員の命を
乗せた巨大戦艦は今もこの穏やかな海の果て
深く静かに沈んでいるのです。
大和ミュージアムを出るとすぐお向かいにあるのが
てつのくじら艦
海上自衛隊資料館で、だから潜水艦の形をしています。
ここでは、海上自衛隊の歴史、そして主に
掃海艇や潜水艦の活躍について知ることができます。
戦後すぐの日本の近海には無数の魚雷がばら撒かれ
安全な船舶の航行を邪魔していたようです。
言ってみれば、海の地雷ですね。
これを一掃するため、海上自衛隊の皆さんが
命がけで大活躍され、さらに、現代では
紛争地域の近海に出かけ、魚雷の撤去に当たって
いるのです。
知らなかったでしょう?
え? ご存知でしたか。
ま、そのあたりのことをしっかり頭に叩き込んでから
潜水艦の展示に移って行きます。
一足飛びに楽しいことには到達しないのだ!
三段ベッドは一般乗組員用。
お手洗い
お食事は最大の楽しみ、かなり豪勢です。
そんなこんなで、いやが上にも潜水艦気分の
盛り上がったところで、やっと本物に
乗船だ〜〜!
人ひとり歩けばいっぱいの廊下
このキッチンで全員分の調理を。
談話室
艦長は個室!
どこを向いてもダクトや計器類
操縦桿を握るお父さん。
この潜望鏡、覗かせていただきました。
ソナーでは、クジラやイルカの声がして煩いそう。
こんな風にして、実物の潜水艦でいろいろ体験できる
これこそが、このてつのくじら艦の最大のイベント。
確かに、いい年したおじさんおばさんも
特に潜水艦に興味なくても、充分楽しかったです。
この施設、ちなみに無料。
ええと、呉の滞在もまだ半分くらいしか
書けていませんで、大変恐縮ですが
残りの半分はまた次回に持ち越します。
どうぞ、呆れずお付き合い下さいますように。
呉の小さな街並みは低い山に張り付くようにありました